蝶々を追いかけて

キャリアに迷った心理士が考えたことを書き留めておくブログです。

涙のふるさと考察ー「俺」とは誰なのか

「涙のふるさと」とは

「涙のふるさと」はバンプオブチキンが2007年にリリースしたシングル曲です。

youtubeのリンクを貼ろうと思ったのですが公式のビデオは公開されていないのですね。とりあえずiTunesの情報を貼っておきます。

涙のふるさと

涙のふるさと

  • provided courtesy of iTunes

 歌詞はこちらから

涙のふるさと BUMP OF CHICKEN 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

とても素晴らしい、いい曲なのですが、私の中で長年歌詞が謎でした。

最近、「こうなのかな」という答えを思いついたので書いておこうと思います。

なお、以下の引用元はすべて「涙のふるさと 作詞:藤原基央」です。

ぜひ歌詞を見ながらお読みください。

登場人物(?)の整理

この曲は誰かの呼びかけから始まります。

探さなきゃね 君の涙のふるさと

頬を伝って落ちた雫がどこから来たのかを

 

出掛けるんだね それじゃここで見送るよ

ついていけたら嬉しいんだけど 一人で行かなきゃね

歌詞を読んでいくとわかるのですが、この曲には涙のふるさとを探しに行く「君」と、「君」に呼び掛けている二人の人物がいます。

一人は冒頭で「探さなきゃね」と呼びかける人

もう一人はサビの部分で「会いに来たよ」と呼びかける「僕」です。

「会いに来たよ 会いに来たよ 君に会いに来たんだよ

君の心の内側から 外側の世界まで

僕を知ってほしくて 来たんだよ」

この二人が別人なのは後者の呼びかけは歌詞の中でカギカッコがついてわざわざ区別されていることからわかります。

そして後者の「僕」は発言の内容から「君」の「涙」だとわかります。

「僕」は「君」に自分がどうしてやってきたのか、つまりは君自身を知ってほしくて会いに来る(涙が出る)のです。

これから出かけるという「君」は「泣いている本人」ということもわかります。

 

ではサビ以外の部分で語りかけてくるナビゲーターのような人物(最後に「俺」と自称するので「俺」と呼びます)は誰なのか。「俺」はどうして呼びかけてくるのか。

これが今回考えたいテーマなのです。

「俺」とは誰なのか

「俺」はずっと「君」の心の中で起こったことを言葉にしていることから「君」の中にいる存在です。

この「俺」はなかなか「君」に対して辛辣です。

逃げてきた分だけ距離があるのさ 愚痴るなよ 自業自得だろう

目的地はよく知ってる場所さ 解らないのかい 冗談だろう

「君」が 今まで涙のふるさとを探しに行かなかったこと、涙のふるさとがどこだかわからないことに苛立っているようです。

「君」が涙のふるさとにたどり着いて、「治らない傷を濡らし」目的を果たした場面の後、一番最後に「俺」はこんなふうに言っています。

笑わないでね 俺もずっと待ってるよ

忘れないでね 帰る場所があることを

 

野暮だとは思いますが、私なりに最後の歌詞を詳しく付け加えるなら

(散々君に偉そうに言っておきながらこんなこと言うなんて)笑わないでね

俺も(君が俺の「涙のふるさと」に来てくれるのを)ずっと待ってるよ

忘れないでね (俺にも「涙のふるさと」という)帰る場所があることを

このようになるような気がします。

つまり「俺」というのは、「僕」とは別の「涙」あるいは、涙にもまだなれない「傷」なのではないかと思うのです。

この「君」は「俺」のことなんか全然気が付いてくれなくて、まだ涙として会いにも行けなくて、ちょっといじけてるから、辛辣な物言いになるのかなと思うのです。

本当につらいとき、涙も出ないことがありますよね。

つらすぎて受け止めきれないこと、まだ泣けないこと、「俺」はそんな心の「傷」なのではないかと思います。

でもいつか涙として会いに行けることを、そしてふるさとに来て傷の存在に気が付いてくれることを待っているなんて、なんと切ないのでしょうか。

傷が癒えるとは言わないけど、でも目的を果たして救われるような気持がします。

 

「治らない傷」というモチーフはバンプオブチキンのほかの歌詞にも出てくるキーワードです。またの機会にこのモチーフについても考えてみたいと思います。