蝶々を追いかけて

キャリアに迷った心理士が考えたことを書き留めておくブログです。

専門職の権力とはー「スクールセクハラ」を読んで

 

スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか

スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか

 

 共同通信の記者である著者が、教師のわいせつ事件について、被害者・加害者の双方丁寧に聞き取り調査を行った新聞記事をまとめた本です。

著者は最初は被害者から話を聞くのですが、途中で「加害者から話を聞かなければだめだ」と思い、加害者に直接会って、どのようにして事件が起きたのかを丁寧に聞き出していきます。加害者も「再発防止になれば」と協力しますが、その中で身勝手な自己弁護を口にします。その過程は緊張感にあふれ、読んでいるこちらもドキドキします。

書かれている内容が非常にリアルで、生々しくて、恐ろしすぎて、ページをめくる手が止められませんでした。

 

本書は「スクールセクハラ」と題されていますが、セクハラという軽い言葉のイメージでは済まない、重大な性犯罪の記録です。学校内で性犯罪が起きるという、これまであまり認められてこなかった事実にきちんと名前を付けて、問題として扱っていくためにあえて口にしやすい「セクハラ」という言葉を使っているとのことです。

 

著者は多くの教師は一生懸命に子供を教えているとしたうえで、「スクールセクハラは教育の構造の問題」であり「教師が自分の持つ権力に無自覚」であることを指摘しています。

私にも、学校で性犯罪を犯す人間は「小児性愛者」だという偏見がありました。そういう特殊な性癖を持った人がそのような事件を起こすのだと。

しかし、本書を読んで衝撃が走りました。彼らは必ずしもそうではなく、自分に「教師の立場」という権力があることに無自覚で、子どもと対等の「男女関係」を結んでいると思い込んでいたり、「相手を自分の思い通りにすることが教育」だと信じて疑わなかったりするのです。

「自分に都合よく相手を理解し、自分の思い通りにしようとする」という、相手を人間として尊重しない態度には、「自己愛」の問題があると思いながら本書を読みました。

「自己愛」とは「ナルシスト」と言われるような自己評価が高すぎる場合を指すことが一般的ですが、その裏には過大なプライドで覆わなければならない、自信のなさがあるといわれています。

詳しくは自己愛について書かれた本を参照なさるとよいと思います。

 

自己愛的(ナル)な人たち

自己愛的(ナル)な人たち

 

 

教師という立場は、「教える」という上下関係が前提で、「自己愛」が肥大しやすい職業です。

これは教師に限ったことではなく、「相手の弱い部分の話」を日常的に聴くカウンセラーという職業も似たような権力を持っていますが、スーパービジョンという、先輩から教えを乞うシステムがカウンセラーの自己愛の肥大を食い止める働きをしているといえるかもしれません。

(その代わりに自己愛が傷ついて屈折しやすいような印象もありますが…)

 

学校関係の方は、「このようなことが学校に起きうる」ということを肝に銘じる意味でも読んでおいて損はないと思います。また、対人専門職の方は自らの「権力」について考えるきっかけになる一冊だと思います。