蝶々を追いかけて

キャリアに迷った心理士が考えたことを書き留めておくブログです。

放置してしまったブログ

随分長い間ブログをほったらかしにしてしまいました。

勉強の方針を色々考えてみたものの、なんだか勉強が億劫になり、そして面白いゲームが立て続けに発売され、余暇時間をゲームに注ぎ込んでいたら、このブログも書けなくなってしまったという次第です。

もちろん時々本は読んで、さらに悩んでもいましたが…

 

本当は書きたい

文章を書かないとどうしても頭の中のもやもやがうまく整理されないので、書きたい気持ちはいつもあるのです。
自分のメモ帳には考えたことや思ったことの断片がたくさんあって、いつかちゃんとまとめてブログの記事にしたいと思っているのです。
書いたほうがきっと精神衛生上もよいと思っているのに。

書けない理由の一つは、私は考えすぎて文章を書くのに以上に時間がかかっておっくうになってしまうことと。
もう一つは余暇時間にやりたいことが渋滞しすぎていて億劫さから後回しにしまくってしまったこと。
最後はブログのテーマに合わないことが書きにくかったこと。でした。

 

方針の転換

もともとこのブログは心理職としてのキャリアに迷って始めたので、とにかく心理学、心理職に関係あることを書こうと思っていました。趣味用のブログは別にあって、そっちに趣味のゲームや小説の感想を書こうと思っていたのです。
しかし、二つのブログに記事を書き分けるのが本当に面倒くさい。
面倒くさいことは長続きしないのが自分の特性だと素直に受け入れ、二つのブログを統合することにし、こちらのブログのテーマを「自分の考えを整理すること」として、心理学以外の本の感想や、趣味のことも書いていこうと思います。

そのほうが自由で、きっと楽しいはず。

気が向いたらもう一つのブログから記事を加筆修正して転載することもしていきたいと思います。

精神分析は魔境

今この本を読んでいます。

 

先日の心理臨床学会のシンポジウムを聞いてから気になっていたのです。

精神分析のガイドブックという位置づけで、精神分析の歴史や、各派の紹介などがまとめられていて、ここまでわかりやすくガイドしてくれる本はなかなかないのではないかというのが途中まで読んだ印象です。

今第二部の途中まで読んでいるのですが、すごいエネルギーの本です。

精神分析への愛がすごいし、心理学への愛もすごい。

すごすぎてちょっと胸やけがします(笑)

 

私は精神分析については完全に観光客もいいところで、本当によくわからないと思っているのですが、この本を読んでちょっと整理がついた気がしました。

日本の精神分析の派閥は自我心理学、クライン派、独立学派、関係論などいくつかに分かれていいます。

自我心理学:アンナ・フロイト、メンタライゼーション

クライン派:妄想分裂ポジション、コンテイナー、投影同一化、タビストック

独立学派:ウィニコットバリント、遊ぶ

関係論:サリヴァン、未構成の経験の構成

 

ここで私は衝撃の事実を知るのですが、対象関係論はすなわちクライン派のことで、関係論とは関係がない、ということです。よくわからなさすぎる。

しかし、76ページの「各学派の比較」という表が大変に素晴らしいです。

さっぱりわからないくせになぜか精神分析を理解したいという欲求があり、いくつか入門書を読んだりもしたのですが、それでもさっぱりわからなかったのですが、この表が精神分析への理解不能感をやや緩和してくれました。

やっぱりガイドブックが必要だったんだ。

魔境に丸腰で足を運んでも中に入る道さえわからず、森に囲まれた有名な建物を外から眺めてるみたいなことになっていたのですね。

 

精神分析が魔境なら認知行動療法ニュータウンでしょうか。

家族療法・ブリーフセラピーの一部はテーマパーク感があるし、内観療法は道場かな。

 

話がそれましたが、精神分析をある程度理解したいという欲求があるので頑張って読み進めてみようと思います。

ブリーフセラピー勉強中

ブリーフセラピーを勉強しています。

まずは昔読んだ本を再読。

大学院を出た頃に読んで、結構影響を受けました。

今回再読して思ったのは、解決志向ブリーフセラピー(SFA)はセラピー初期の関係づくり、特にセラピストとクライエントの関係性の査定をするという点においてものすごく有用だということ。

この視点はほかの心理療法にはあまりないですよね。

しかし、同時に私にはどうやってもブリーフセラピストになるのは無理だということも再認識しました。

どうしても、介入のあたりが職人芸過ぎてまねできない、本当にその介入でいいのか?とか、思ってしまうのです。

そんな中でもう一冊読んだ本が非常に有用でした。

 

様々な分野の、いろいろな立場の方が1章ずつ書かれている本なのですが、その中の「第10章 児童相談所の現場から」という章が私の思っていたブリーフセラピーの違和感をうまく言葉にされていて、感動してしまいました。

ここでは、あえてあまりうまくいかなかった、短期では終わらなかった事例を挙げて、何が起きていたのかを分析しています。

その中で「解決志向」ではなく「解決強制」療法になってしまう場合について書かれています。

SFAでは「例外探し」が主要な技法ですが、「クライエントにとって重要でない例外をめぐって議論を戦わせること」は「解決強制」になると書かれています。

 

クライエント自身が例外を探せるような状況になっていなければ、セラピストがいくらそれを求めても苦痛になるばかりです。クライエントの関心が常に変化に向いていることはありません。

「第10章 児童相談所の現場から」より

クライエントさんのニーズがはっきりしているとき、未来についてのイメージが具体化できるときにはとても良いセラピーなのだと思いますが、その前の段階でしり込みしたくなったり、まだその気になれないクライエントさんにはもう少しゆっくりやっていく必要があるのでしょうね。

またグッドリーズンを考える、という個所もとてもよかったです。

グッド・リーズン(good reason)という言葉があります。これは、「もっともな理由」と訳すことができるでしょう。そうせざるをえなかった、またはそうならざるをえなかった「もっともな理由」がクライエントにはあると考えることです。

これは本当にその通りで、常に忘れないようにしたいと思う言葉です。

このことを肝に銘じておけば、クライエントを責めたり、カウンセリングがうまくいかないことをクライエントのせいにするなどという大変残念なことは起こらないと思うのですよね。

 

SFAの本を読むとSFAは万能、誰にでも簡単に使える、みたいな印象が強かったのですが、この章はSFAの限界とか注意点について書いてあって、安心感がありました。

 

また以前に買ったこの本もざっと再読。

この本の「他力本願のジュンコ」という章が、SFAの何が良かったのかを終結後にクライエントと振り返っていて面白かったです。

こういうことが柔軟にできる自由さは見習いたいと思います。

 

SFAを学びなおして思うのは、私にとってSFAは関係作りとかクライエント理解の部分を身に着けるぐらいがちょうどよいのではないかということでした。

介入(行動課題を出す)をするというのは、すぐに身に着けるのは難しい…という印象です。この部分はCBTも学びなおして自分の中で検討したいと思います。

料理から自信のつけ方を考える

私は家族の中で基本的に毎日の夕飯づくりを担っています。

とにかく手間をかけるのが嫌いで凝った料理はできませんが、ほぼ毎日、献立を作ってある程度のクオリティの料理をすることができるようになりました。

いったい私はどうやってこのスキルを身に着けたのか。そしてそれはほかのスキルの獲得に応用できるかを考えてみたいと思います。

 

まず私はなぜ毎日料理ができるのかについて考えみました。料理に関する自己効力感といえるかもしれません。

  1. 料理について自分に高いハードルを課していない。手間をかけるのが嫌いだという自分の特性や能力を理解し、家庭料理だからと妥協することを全く悲観していない
  2. わからないことはどうやってを調べればよいかわかっている(料理本や料理サイトなど)
  3. なるべく手間を掛けずタンパク質と野菜と炭水化物が取れて、なるべく美味しいものを食べたいというゴールが明確
  4. 自分に合わないものは切り捨てられる(手間のかかることや見栄えのいいことなど)
  5. 外食やコンビニのご飯など、色々な料理を知っており、レパートリーを手軽に増やせる
  6. 弁当作りや離乳食など、学ばなければならないことは自分にあった形で学び、手を抜けないところと手を抜けるところをある程度判断できる
  7. 毎日の夕飯作りという常に実践の機会がある
  8. 失敗してもある程度リカバリーできるイメージがある
  9. 自分が食べたいものを作るという欲求を満たせる。おいしくできるとうれしい

 

そして自分にどんなスキルが身についているのかも考えてみました。

  1. タンパク質と和洋中の組み合わせからメインをきめ、そこから副菜を決め、時間を逆算して組み立てられる献立作成スキル
  2. 調味料の組み合わせを想像し、出来上がりの味を作る目分量スキル
  3. どの手間を省いてはいけないか、どの手間は省けるかを判断する手間抜きスキル
  4. 料理に関してハードルを上げすぎず、長期間それなりのクオリティで作り続けるサステナブルスキル

以上に基づいて、私が今一番困難を抱えているカウンセリングスキルの習得と照らし合わせて考えてみます。まず、なぜ私はカウンセリングをうまくできるという自信がないのか考えてみると

  1. カウンセリングがうまくなりたいという自分に課すハードルが高い、お金をいただくサービスだから質を高くしなければと自分にプレッシャーをかけてしまう
  2. わからないことが多すぎる、すぐに調べにくい
  3. どういう心理士になりたいのか不明確。とにかく役に立ちたいという思いになってしまう。
  4. 様々な理論やスキルなど何でも取り込もうとする、知っていなければならないと思ってしまう
  5. 自分自身がカウンセリングを受けた経験が少なすぎてイメージが貧困
  6. 手の抜きどころがわかってない。頑張ろうとしすぎる
  7. 臨床経験が少ない、実践の場が少ない
  8. 失敗を恐れすぎる、取り返しがつかないと思ってしまう、失敗のリカバリーの仕方が場当たり的
  9. うまくいった時といかないときの落差が大きい

なんだかとても腑に落ちる感じがします…。ではどうすればよいのかを考えてみます。

  1. 自分に貸すハードルを下げる(そこそこの心理援助ができればいいと考える?)
  2. どういう心理士になりたいのか明確にする。これはじっくり考えます
  3. あれもこれも取り入れようとしない
  4. 他の人のカウンセリングを受けてみる
  5. 手の抜きどころを探す。解決志向アプローチなんかが参考になるのかもしれません
  6. できるだけ経験を積み、失敗のリカバリー方法を調べる、考える。
  7. あまりめげないでカウンセリングそのものをもっと楽しいと感じられるようにする

それでいいのかなと思う部分もありますが、この方向で考えてみたいと思いました。

自分ができると思っていることから、自分が躓いていることの原因を探るというやり方はほかにも応用できそうです。

基礎的なスキルの習得を目指して

心理士としての自信をつけるために、基礎的なスキルとは何か、どうやって身に着けたらよいかをずっと考えております。

これまでには諸富祥彦先生の「」新しいカウンセリングの技法」を読んでカウンセリングのプロセスについて振り返りました。

自分の臨床スタイルとして、人間性心理学をベースとしつつも、プロセスに応じていくつかの技法が使い分けられるとよいということで、さらに「カウンセリングテクニック入門」を読み、そこからどんなスキルを確認していけばよいのかを考えています。

また、先日の心理臨床学会でオンラインカウンセリングについてのシンポジウムを聞き、対面カウンセリングよりもオンラインカウンセリングのほうが言語的なやり取りが多くなりがちで、繊細な感情は拾いにくい面があり、一長一短があるという知見を得ました。

そのために、やはりオンラインカウンセリングではCBTやブリーフセラピーなどある程度型が決まっていて、あまり長引かないようなスタイルのカウンセリングが合っているのではないかと思うようになりました。

さらに、個人的な興味というか、自分がどっしり構えていられるように、クライエントさんのアセスメントがしっかりできるようになりたい、クライエントさんとの関係で何が起こっているのかを分かっていたいという欲求があり、これも勉強したいと考えています。

さらに自分の興味・関心で家族の臨床ができるようになりたいというものがあります。

 

というわけで、これから勉強していきたい技法としては

・CBT、特に技法の導入の仕方や効果的な取り組み方について

・解決志向アプローチ、とくに相手との関係を作るスキル

・メンタライゼーション

・動機づけ面接

・家族療法特にシステムズ・アプローチ

をちゃんと使えるように勉強していきたいと思います。

本当にいろいろ聞きかじっているけど、自由に使えるほど自分の身になっていないものが多すぎる!

というわけで勉強の方針が決まるとちょっとホッとしますね。

一つずつやっていきたいと思います。

 

専門家を名乗る最低ラインとは

少し前に「失敗の科学」という本を読んでいたのですが、そのなかで衝撃を受けたのが、いわゆる「1万時間ルール」と呼ばれる、才能が開花するまでには1万時間の訓練が必要という法則は、職種によっては訓練や経験が何の影響ももたらさないことが多い、という研究結果がある、ということでした。

その職種の代表として心理療法士、臨床心理士が挙げられていました。

 

なぜなら、心理療法は治療がうまくいっているかどうかを判断する客観的データに乏しく、終結事例のその後を知ることも少ないため、自分がやっていることがうまくいっているのかどうかわからないから、つまり自分たちがやっていることが成功か失敗かがわからないから、訓練や経験によってうまくならない、というのです。

暗闇でゴルフの練習をするようなもの、と例えられていました。

 

その対策としてデータとフィードバックが必要だと言われています。

 

Yahoo!ニュースの記事ですが、こちらでも一万時間の法則が間違いであり、もっと短い時間でスキルの習得が可能であるということが指摘されています。

news.yahoo.co.jp

こういう本や記事を読んで、臨床経験コンプレックスの私はある部分はホッとしたわけです。

心理士が上手になれないのは大問題ですが、それとは別に専門家になるには1万時間もいらないというあたりです。

確かに1万時間もかけないと一人前になれないのだとしたら大変すぎます。

回り道をしたら一人前になる前に人生が終わってしまいます。


専門家、技術者としての最低ラインを習得するならもっと低くて良いらしいとのことですが、さて心理士が専門家を名乗れる最低ラインってなんだろう?などと考えています。

 

臨床心理士公認心理師資格を取るための勉強は最低ラインといえるのでしょうか。

それとも実際の臨床経験の中で学んだ生きた知識も必要でしょうか。

それも3年ならいいのか、5年ならいいのか、10年ならいいのか…と考えていくとドツボにはまっていきますね。

そこで必要なのがきっと先述したデータを取ることと、フィードバックを得て、ちゃんと臨床が「うまくなる」ことなのでしょう。

 

実際の臨床場面ではなかなか満足度アンケートを取りにくいですけれども、できれば取っていったり、相手をよく観察し、面接の過程を振り返り、この面接がうまくいっているのかどうかを冷静に検討することも必要でしょう。

また、事例検討会やスーパービジョンを受けることは、フィードバックを得るためにうまくなるためにはやはり必要ということになります。

さいごにこうしたデータやフィードバックを振り返って、何に失敗して、何がうまくいっているのかを分析しなければなりません。

私も失敗からきちんと学ぼうと思って本を買ったのです。

 

まだパラパラとしか読んでいませんが…。

ああ、「失敗から学べる」というのが専門家の一つの条件なのかもしれません。

失敗しないという専門家、怪しいと思いませんか?

酸いも甘いもかみ分けていると信頼できそうな気がします。

 

焦る理由

心理士としての自信を回復させようと躍起になっているうち、なぜ自分はこんなに自信がなくなってしまったのか、なぜ自信を取り戻そうと必死なのかということを考えるようになりました。

 

時間がないなりに少しでも臨床経験を増やそうと、オンラインカウンセリングサービスに登録しようと思って調べていました。
そこに乗っていた登録カウンセラーのプロフィールや利用者の声を読んでみたのですが、それがどうも私を焦らせているようなのです。

 

カウンセラーは
〇〇を○年やってきました!
〇〇療法であなたの問題を改善に導きます!
どんな悩みも受け止めます!
と、自信満々に見え、

 

利用者の方は
〇〇先生にお願いしてよかったです!
たった1回だったのに悩みを整理して、対処法まで教えて下さいました!
包み込むような暖かさを持った先生です!
と大絶賛のように見える。

 

もちろんネット上の宣伝なので、良いことばかりをピックアップして書いているんだろうということが頭ではわかっていても、どうしても自分と比べてしまい、以下のような思考に陥ります。

 

私はこんなに自信を持ってできるだろうか? たった1回でクライエントさんに満足してもらうカウンセリングなんかできるか?

全部受け止めるなんて言えるか? 逆転移とか起こるだろ? 無条件の肯定的関心って本当にやるには難しいんじゃなかったのか?
自信満々になるな、謙虚になれ、カウンセリングは劇的に効果が出る魔法ではない、地道な作業だって習ってきたのはなんだったんだ…?

…もしかして、私のやってきたことってじつは間違っていたのでは…?
というか資格取ったくせに実はなんにも身についてなかったのでは?


みたいな破滅的思考に襲われてしまうのです。わかりやすいですね。

このあたりに自分のカウンセラーとしての弱点があるように思います。

 

臨床経験○年とか、〇〇療法を何百件やってきました、〇〇の専門資格を持っています、〇〇ができます!みたいに言える人が本当はめちゃくちゃ羨ましいのです。
臨床心理士資格を取ったのが遅く、当時はできるだけ何でもできる人になりたくていろいろと勉強してみたけど、これが自分の売りだと言えるものがなく、しかも福祉、教育、医療といろいろな分野を渡り歩いたりして専門性も高くない。
そして子育てに専念している時期も多くて臨床経験自体もそんなに多いわけではない。
根性も体力もそんなになくて臨床経験を積むためにものすごく頑張った、ということもない。

ナイナイばかりじゃ意味がないって言ったのはどこの誰だったっけ…? 嵐?

 

このあたりが自信のなさ、いわば「臨床経験コンプレックス」の根源のようなのです。


だから私は自分が勉強したことを振り返って、何も身についてないわけじゃないよって自分に言いたいんだなと。

こういう作業は仕事で忙しくしていたらなかなかできないことかもしれません。

特定の勉強に偏らなくていい今だからこそ、思う存分じっくり振り返って確認してみたらいいのかもしれないと思いました。

 

そして、既存のオンラインカウンセリングのサービスに登録するかどうかはともかく、オンラインでカウンセリングができたほうが良いのはこれからの時代、間違いないと思われるので、オンラインカウンセリングについて学んでいきたいと思います。
オンラインカウンセリングでは色々見る限り、CBT、ブリーフセラピーとか解決志向アプローチみたいな、言語優位ですぐに結果が出る技法が合っているようです。

こういう基本的な技法こそ、もう一度きちんと勉強しなおしてみたいと思います。